我が友『あっきん』our friend AKIHIRO
1990年3月15日。その前の日まで。
10代の頃、俺には親友がいたんです。
俺が18歳・あいつは17歳だったかな。その親友とは中学校からの付き合いで、あいつは中学出てから左官見習い。俺は水産系の高校に進学したけど、遊ぶほうが勝ってしまい中退。
あいつも左官の仕事辞めて、毎日毎日仕事もロクにせずに、一緒に遊んでた。
俺が悪いことして施設から出てきた時も、一番に家まで来てくれた。
一緒に仕事もしたなぁ。あっきんの紹介で鉄工所。鉄骨を組み立てる仕事で、初めて鉄骨の梁に登らされて、二人とも怖くて梁の上を歩けないから、座って移動したのを今でも思い出す。
親兄弟以上に、毎日毎日、何をするわけでもなく、ただただ一緒にいたな。
1990年3月15日。その前の日まで。
「寝てるって言って」
1990年3月15日。その前日まで毎日のように、『J』というスナックに行ってました。俺と同級生Mとあっきんで。
いつも閉店まで呑んで、坂出市にある『J』で働く女性の家まで行って遊ぶ。って毎日でした。
3月15日 その日、俺、風邪で熱が出て家で寝てたんです。
あっきんから夜の8時頃、家に電話があったんです。
当時は携帯電話などなく、家の固定電話を通じての連絡方法しかなくて(ポケベルはあったけど、ただ番号だけ入力できるシンプルなやつ)
母親が「あっきんから電話や!」って・・・って呼ばれたんだけど、熱出て少し面倒臭かったから
「寝てるって言って」って・・・それが、あっきんと最後のコンタクトでした。
「あっきんが死んでしもうた」
その夜あっきんは、同級生Mと飲み屋街で偶然会った後輩の2人。計4人で、いつものように、『J』で呑んで、閉店後女性の車に7人乗りこんで、運転手の女性が酔って電信柱に衝突しました。
あっきんと後輩2人が亡くなってしまいました。

実は俺、その日の夜中に寝れなくて、熱も少し下がったから、政宏っていう友達の家に遊びに行ったんです。
明け方まで色々な話してて、眠くなったんで寝ようとした時、誰かが窓を叩くんです。【ドン】【ドン】【ドン】
『誰や?』
俺。竹田。「あっきんが死んだ」
え???
・・・・・
・・・・・
ビックリして窓を開けて、「朝から嘘言うな」って言って寝ようとしたら、そいつ泣きながら「あっきんが死んでしもうた」って・・・
「嘘やん・・・嘘やろ?」・・・・・・・・
「ほんまや」・・・・・
「わかった!じゃ、家まで見に行こうで!」
「あっきんの家いこうで!」
・・・・・・・・・「うん」・・・・・・・・
絶対嘘だと思ってた。マジで、悪い冗談だと思ってた。
嘘だったら、殴ってやろうと思ってた。
「嘘にも限度がある!って」
夢なのか現実なのか
でも・・・・・現実だった。
家を見に行ったら、花輪を壁に設置中で・・・家は通夜、葬式の準備中で・・・
本当に言葉にならなかった事、今でも鮮明に覚えてる。
あっきんの死顔みても、告別式の時も死んだ!って実感がなくて涙なんか全然出なくて・・・
よく夢も見た。ってか、今もたまに見る。夢の中のあっきんは、いつも笑ってて「あれ?あっきん、お前死んだよな?」って言うと「いや、あれからここの内臓をここに移植して、この部分を・・・・」って説明するあっきんの夢を何度みたことか
あっきんには、俺達10代の仲間しかいないから
人間は誰でもいつかは死ぬ。この世に「絶対」って事は存在しないって思ってる俺だけど「人間は誰でも死ぬ」このことに関しては、おそらく絶対!だろう。
あっきんが死んでから、なるべくあっきんの事をみんなに言うようにしている。
「あいつは、こういう奴で、こんな女を好きになって、こんな事が好きで、こんな歌が好きで・・・」言い出したら、キリがないくらいあっきんのネタはある!
俺達は大人になって違うブレーンの仲間も出来たし、ビジネスの仲間、同じ趣味の仲間も出来た。
四六会の同志もきっとそうだろう。
でも、17歳で逝ったあっきんには、俺達10代の仲間しかいないから・・・
だから、あっきんの事をみんなに話す事で、あいつが生きていた証になると思っているんです。
かけがえのない我が友あっきんを亡くして
あっきんは、突然次の世界に行った。俺たちに旅立ちの挨拶も何もなく突然。
「おいあっきん、せめて何か言ってから逝けよ!」って今でも思う。
お世話になった人や愛する人には自分の言葉でお礼を言って、次の世界に旅立ちたい!
あっきんを亡くして、俺はいつもそう思っている。俺たちにとって、かけがえのない我が友あっきんを亡くして




